村上の世間話6
村上的闲聊·第六回
こんばんは。村上春樹です。村上RADIO、今夜はまたまた村上の世間話、これで6回目になります。あくまで気楽な話なので、あくまで気楽に聴いてください。素敵な音楽もかかります。日曜日の宵(よい)、脳に溜まったしこりみたいなものを洗い落としていただけると嬉しいです。でも、うっかり脳の本体まで落としちゃわないでくださいね。脳が減ってくると、「脳減る賞」がもらえちゃったりしますので……みたいなだるい冗談を言っている場合じゃないんですけどね。ニャーオ(猫山)
<オープニング曲>
Donald Fagen「Madison Time」
明けましておめでとう、お餅が焼けたよ……なんて気楽なこと言っているうちに、気がついたらもう1月も終わりかけているんですね。時間の流れの速さにうまくついていけなくて、困ってしまいます。その昔、「せまい日本、そんなに急いでどこへ行く?」という交通標語がありましたが、本当に時間はそんなに急いで、いったいどこに行くんでしょうね。ちょっと呼び止めて「どこに行くんですか?」とか聞いてみたいけど、きっと答えてはくれないでしょうね。でもそれはそれとして、日本ってそんなに狭いんですかね? けっこう広いような気がするんだけど。
晚上好,我是村上春树。村上 RADIO,今晚又是村上的闲聊,这已经是第六回了。反正都是些轻松的话题,请大家也轻松地听。也会播放一些好听的音乐。希望在周日的傍晚,能帮你们把脑子里积攒的那些像硬块一样的东西冲洗掉。不过,可别一个不小心把脑子本体也洗掉了。脑子要是越来越少,说不定就会拿到"脑减奖"什么的……现在可不是说这种乏味冷笑话的时候。喵呜(猫山)
<开场曲>
Donald Fagen《Madison Time》
新年快乐,年糕烤好了哟……还悠闲地说着这些话,一回过神来,一月都快结束了。跟不上时间流逝的速度,实在让人困扰。从前有句交通标语:"狭小的日本,你急着往哪儿去?"时间还真是急匆匆地,到底要去哪里呢?真想把它叫住,问一句"你要去哪儿?",但它一定不会回答吧。不过话说回来,日本真的那么小吗?我倒觉得它挺大的。
Bootleg Versions
Columbia
まず1曲聴いてください。フュージーズが歌います。「Killing Me Softly With His Song」。
*今を遡る1976年のことですが、当時のソビエトの空軍中尉、ヴィクトル・イヴァノーヴィチ・ベレンコさんが当時最新式のミグ戦闘機25を操縦して北海道に亡命しました。函館空港に強行着陸したんです。機体はアメリカ軍と自衛隊に徹底的に調査されたあとソビエトに返還され、本人はアメリカに亡命したのですが、一昨年の9月に76歳で亡くなられました。
その死亡記事を見ていて、はっと思い出したのですが、その亡命事件があったすぐあとで、札幌のとあるストリップ劇場が「ベレンコ中尉もこれ見てデレンコ」という看板を出したという記事をどこかで読んだことがあります。しかし、しょうもないことをよく覚えているもんですよね。半世紀近く前のことなのに。
でれんこ。だらだらとした気合いの入ってない状態のことですね。「でれんこでれんこ歩いてんじゃねえや」みたいな使い方をされます。でも僕は、そのときまでこの言葉を耳にしたことが一度もありませんでした。調べてみると、茨城弁あるいは栃木弁ということです。反対語は「てってこてってこ」というんだそうです。
しかし、なかなか可愛げのある言葉ですよね。「今日はでれんこしちゃおうかな」とか、つい使いたくなります。ちなみにベレンコさんはアメリカで市民権を与えられましたが、ソビエトの工作員による暗殺を恐れて、名前や居住地をしょっちゅう変えて生活していたんだそうです。あまり、でれんこできなかったんでしょうね。気の毒です。
先来听一首歌。由 Fugees 演唱,《Killing Me Softly With His Song》。
*1976 年,也就是距今相当久以前,当时苏联空军中尉维克托·伊万诺维奇·别连科驾驶当时最新式的米格-25 战斗机,叛逃到了北海道。他强行降落在函馆机场。飞机被美军与自卫队彻底调查后归还给苏联,本人则流亡美国;不过他在前年九月以 76 岁高龄去世了。
看到那则讣闻时,我忽然想起:那场叛逃事件发生后不久,札幌有一家脱衣舞剧场挂出过一块招牌,写着"别连科中尉看了也会变得软趴趴(derenko)"。我不知曾在哪儿读过这样的报道。可真是的,这种无聊事我倒记得很清楚,明明已经是近半个世纪前的事了。
Derenko,指的是一种松松垮垮、提不起劲的状态。比如会说:"别这么没精打采地晃来晃去。"不过,在那之前我从没听过这个词。查了一下,似乎是茨城县或栃木县的方言。它的反义词据说是"tetteko tetteko",也就是脚步轻快、忙个不停的样子。
不过,这个词还挺可爱的,不是吗?让人忍不住想说"今天要不要就软趴趴地过一天呢?"顺便一提,别连科先生在美国取得了公民身份,不过因为害怕苏联特工暗杀,常常更换姓名和住址生活。大概没怎么能悠闲地软趴趴吧,真可怜。
A Jazz Date With Chris Connor / Chris Craft
Rhino Records
クリス・コナーの歌で聴いてください。「ロンリー・タウン」、レナード・バーンスタインのつくった美しい曲ですね。途中で入るヴァイブラフォンのソロはエディ・コスタです。
*
僕はボストンのフェンウェイ・パーク球場で、エンゼルス時代の大谷翔平のプレイを観たことがあります。三塁側の、ホームベースから割と近くの席でした。それで彼の打席を間近で目にしてびっくりしたのですが、何しろスイングがめちゃめちゃ速いんです。風を切るビュンという、うなりが聞こえるくらい速い。あの速さはテレビで観ていては実感できないですね。驚異的です。あんな鋭いスイングでよく厳しい変化球に対応できるものだと感心してしまいました。きっと動体視力が優れているのでしょうね。
動体視力といえば、ベーブ・ルースは78回転しているSPレコードのラベルの細かい字を、楽にすらすら読み取ることができたそうです。信じられないですね。僕なんか33回転のLPレコードの字だってなかなか読み取れません。まあ、それだけの視力が具(そな)わっていたからこそ、飛んでくるスピードボールの球筋を瞬時に見極めて、バットにガツンと当てることができたんですね。
このあいだテレビを観ていたら、アメリカ大リーグのある有名選手が「どうやったらあなたのようにたくさんヒットを打つことができますか?」という小学生からの質問に答えていました。彼が言うには「ピッチャーがボールを投げてくるじゃない。そうしたらさ、フィールドをざっと見回して、どこに隙間があるかを見定め、そしてそこをめがけて打球を飛ばせばいいんだ」。うーん、言わんとすることはわかるけど、そんなこと言われても簡単には実行できないですよねえ。一流のプロというのは何ごとによらず本当にすごいなあと感心してしまいました。
请听克里斯·康纳演唱的《Lonely Town》,这是伦纳德·伯恩斯坦写的一首优美歌曲。中途插入的颤音琴独奏由埃迪·科斯塔演奏。
*
我曾在波士顿的芬威球场看过大谷翔平效力天使队时的比赛。座位在三垒侧,离本垒相当近。我近距离看他打击时,真是吓了一跳:挥棒速度快得不得了。快到仿佛能听见"嗖"地划破空气的声音。那种速度,光在电视上看是体会不到的,实在惊人。用那么凌厉的挥棒,还能应对刁钻的变化球,真让人佩服。想必他的动态视力非常出色。
说到动态视力,据说贝比·鲁斯能毫不费力地读出以每分钟 78 转旋转的 SP 唱片标签上那些细小的字。简直令人难以置信。我连每分钟 33 转的 LP 唱片上的字都很难看清。也正因为有那样的视力,他才能瞬间判断飞来的高速球的轨迹,结结实实地用球棒击中吧。
前些天看电视,一位美国大联盟的著名球员回答小学生提问:"怎样才能像您一样打出那么多安打?"他说:"投手要投球过来,对吧?那你就迅速扫一眼球场,判断哪里有空隙,然后朝那里把球打过去就行了。"嗯,我明白他的意思,可就算这么说,也不是轻轻松松就能做到的啊。顶级职业选手无论做什么都真厉害,我不禁这么感叹。
All-Time Greatest Hits
Mercury
ときどきバリー・ホワイトの艶やかな低音が聴きたくなります。聴いてください。I'm Gonna Love You Just A Little More,Babyです。バリー・ホワイト、RIDE ON!
*
野球の話の続きですが、アメリカにピッツバーグ・パイレーツっていう野球チームがありますよね。僕は常々疑問に思っていたのですが、ピッツバーグのあるペンシルベニア州は海にまったく接していません。なのにどうして「パイレーツ=海賊たち」なんて名前がついたんだろうと。
考え始めると夜も眠れない……というほどでもないんですが、とにかく調べてみますと、このチーム、もともとは「アレゲニー・ベースボール・クラブ」といったんですが、よそのチームから強引に優秀選手を引き抜くことで悪名をはせ、「盗人」「海賊」と非難され、それをそのままチーム名にしちゃったんだそうです。「ふん、知ったことか」とね。開き直りっていうか、すごい根性ですね。1891年のことですが。
それから、これはプロ・バスケットボールの話になりますが、「ユタ・ジャズ」っていうチームがありますね。でもユタ州は決してジャズが盛んな土地ではありません。なのになんで「ジャズ」なんていう名前がつけられたのかと疑問に思っていたのですが、このチーム、もともとはニューオーリンズにあったんです。でも営業的に思わしくなく、1971年にユタ州ソルトレイクシティに本拠地を移転しました。でも名前は「まあ、いいか」的に「ジャズ」のまま留まりました。
似たところでロサンジェルスの「レイカーズ」も不思議なチーム名です。レイカーズ、湖の畔(ほとり)に住む人々のことですね。しかし南カリフォルニアには湖なんてほとんどありません。調べてみますと、このチーム、もともとはミネソタ州ミネアポリスが本拠地だったんです。たしかにミネソタは湖の多いところです。氷河に削られた窪地に水が溜まって湖になりました。それが1960年にロサンジェルスにチーム丸ごと引っ越したんだけど、でも名前はなぜかそのまま「レイカーズ」に留まりました。
まあ、みんなどうでもいいようなことなんですけど、僕はわりにそういうことをいちいち不思議に思って、調べるのが好きな性格みたいです。
有时我会想听听巴里·怀特那艳丽的低音。请听《I'm Gonna Love You Just A Little More, Baby》。巴里·怀特,RIDE ON!
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接着说棒球。美国有一支叫匹兹堡海盗队的棒球队,对吧?我一直觉得很疑惑:匹兹堡所在的宾夕法尼亚州完全不临海,为什么会叫"Pirates=海盗们"呢?
倒也不至于想到睡不着觉……不过我还是查了查。原来这支球队起初叫"阿勒格尼棒球俱乐部",因为强行从别的球队挖走优秀球员而臭名昭著,被人骂作"小偷"、"海盗",他们干脆就把这当成队名了。大概是"哼,谁管你"的意思吧。算是破罐子破摔,还是说很有胆量呢?这事发生在 1891 年。
另外,转到职业篮球的话题,有一支叫"犹他爵士"的球队。不过犹他州绝不是爵士乐兴盛的地方。我也一直疑惑为什么叫"爵士",后来才知道,这支球队原本在新奥尔良。但经营状况不理想,1971 年迁到了犹他州盐湖城。不过名字就以一种"算了吧"的心情保留为"爵士"了。
类似地,洛杉矶"湖人"也是个很奇怪的队名。Lakers,指的是住在湖畔的人们。可南加州几乎没什么湖。查下来才知道,这支球队原本以明尼苏达州明尼阿波利斯为主场;明尼苏达确实是湖泊众多的地方,冰川削出的洼地积了水,就形成了湖。1960 年,整支球队搬到了洛杉矶,但不知为何,名字依然保留为"湖人"。
说起来,这些都是无关紧要的事,不过我好像天生就爱对这种事逐一感到好奇,再去查个明白。
The Great Summit - The Master Takes
Roulette Jazz
ルイ・アームストロングがデューク・エリントン楽団をバックに歌います。「希望の明かりが見えてきた(I'm Beginning To See The Light)」。
*
この前の回の世間話で、東京の表参道にあった鰻屋さんの話をしました。いつも猫がのんびり昼寝をしている鰻屋さんですね。
鰻屋さんにいくと、だいたい、うな重は「松・竹・梅」みたいなランクに分かれています。値段は松がいちばん高くて、梅がいちばん安い。余りお金がない頃、僕はいつも当たり前に梅を注文していました。何の迷いもなく。でも、いくらか生活に余裕ができてからは、ひとつランクアップして竹を注文するようになりました。多少後ろめたい気持ちはあったけど、「ま、いいか」みたいな感じで。でも、もっと歳をとって、さらにもう少し余裕が出てきてからも、「松」にいけないんですよね。今日こそ「松」を頼もうと思って鰻屋さんに入っても、つい「竹」を頼んでしまいます。決して気が弱いわけじゃないんだけど、どうしても上から二番目あたりが、気分的にいちばん落ち着くみたいです。何ごとに寄らず、いちばん上というのはどうも居心地がわるい。どうも気恥ずかしくて「松」を頼めない。これはひょっとしたら、育った環境のせいかもしれません。
僕は穏やかな住宅地の、中産階級まっただ中みたいな、けっこう「ぬるい」環境で一人っ子として育ったせいか、積極的に人より前に出る、人より上に行く……ということが苦手みたいです。自分のペースで、自分の好きなことをこつこつとやるのは、なにより得意なんですけどね。というわけで、そのせいかどうか知りませんが、僕は鰻屋さんで永遠に「竹」を注文し続けることになるかもしれません。まあ、それも人生なんだろうけどね。
ちなみに僕は昔、駅伝チームを持っていました。うちのアシスタントと編集者有志の混合チームだったのですが、これの名前が「梅竹下ランナーズ」でした。「梅」クラスと、「竹の下」クラスのランナーが集まったチームだったんです。それでも、いろんなレースに出て、わりかし健闘しました。
路易斯·阿姆斯特朗在杜克·艾灵顿乐团伴奏下演唱。《希望的光亮开始浮现》(I'm Beginning To See The Light)。
*
上一次闲聊时,我讲过东京表参道一家鳗鱼店的故事。那是一家总有猫悠闲午睡的鳗鱼店。
去鳗鱼店时,鳗鱼饭通常会分成"松、竹、梅"之类的等级。松最贵,梅最便宜。以前没什么钱的时候,我理所当然总点梅,毫不犹豫。不过生活稍微宽裕一些之后,我就升一级,开始点竹。虽说多少有一点心虚,还是抱着"算了吧"的心情点了。可是年纪再大些、手头再宽裕一点,我也还是点不了"松"。即使想着"今天一定要点松"走进鳗鱼店,最后还是会点竹。我倒也绝不是胆小,只是从上往下数第二档,心情上似乎最让我安稳。不论什么事,最高档总让我有点不自在,也有些难为情,所以点不了松。这说不定和我的成长环境有关。
我是在宁静住宅区里、相当中产阶级的那种挺"温吞"的环境中作为独生子长大的,所以好像不太擅长积极抢在别人前面、爬到别人上面去。不过,按照自己的步调,踏踏实实做自己喜欢的事,这倒是我最擅长的。因此也不知是不是这个缘故,我或许会永远在鳗鱼店点"竹"吧。唉,这大概也是人生。
顺便说,我以前有过一支驿传接力跑队伍,是由我的助理和几位编辑组成的混合队,名字叫"梅竹下跑者"。意思是集合了"梅"档和"竹之下"档跑者的队伍。尽管如此,我们参加过不少比赛,成绩还算不错。
Inna Reggae Stylee - Classic Songs In A Reggae Groove
EMI Records
たまにはレゲエを聴きましょう。マキシ・プリーストが歌います。「クレイジー・ラブ」
<収録中のつぶやき>
僕がこの前入った鰻屋は、梅が一番高くて、松が一番安いの。頼むとき、「松!」って頼むとかっこいいじゃない、なんか。そこだと梅を頼めるかなあ。
このあいだお風呂に入っているときに、「そうだ、今日は耳たぶをちゃんと洗わなくちゃ」と思い立ちました。僕はお風呂に入って身体を洗っても、なぜか耳たぶを洗うことをよく忘れちゃうんです。だから思いついたときに、わりに念入りにゴシゴシと石けんで洗います。それで湯船につかって、ツルツルに洗い終えた耳たぶを指で撫でていて、そこでふと気がついたんだけど、僕の耳たぶって、左右で大きさがはっきり違うんです。左がたっぷりしていて、大柄で肉付きもよく、右はコンパクトで硬めです。僕はもうこの世に生を受けて七十数年になるのですが、そんなことを今になって初めて発見しました。うーん、なんか不思議なものですね。自分の顔なんて毎日、洗面所の鏡でいやというほど眺めているはずなのに、左右の耳たぶの大きさにこんなに差があることに、これまでまったく気づかなかった。
僕はイヤリングもつけないし、ピアスもつけないので、耳たぶの大きさが左右で違っていても、現実的にはとくに何の支障もないわけですが、しかしどれだけ歳をとっても、内省(ないせい)や観察を重ねても、自分自身に関して知らないこと、わからないことはまだまだたくさんあるんだなあと、感慨に打たれました。
さて、みなさんの耳たぶの具合はいかがでしょう? 左右で大きさは違っていますか? しかし耳たぶっていったい何のためについているんでしょうね? 日常生活でとくに何かの役に立っているとも思えないんだけど……。
偶尔来听点雷鬼乐吧。由麦克斯·普里斯特演唱,《Crazy Love》。
<录音中的嘀咕>
我上次去的那家鳗鱼店,梅是最贵的,松反而最便宜。点菜时喊一声"松!",总觉得很帅,不是吗?在那儿的话,我大概就能点梅了。
前阵子洗澡时,我忽然想到:"对了,今天得把耳垂好好洗一洗。"我洗澡洗身体时,不知为什么经常会忘记洗耳垂。所以想起来时,我就会用肥皂仔仔细细地搓洗。然后泡进浴缸,用手指抚摸洗得滑溜溜的耳垂时,我突然发现:我的左右耳垂,大小明显不一样。左边饱满,个头大、肉也厚,右边则比较小巧、偏硬。我已经来到这世上七十多年了,却到现在才第一次发现这件事。嗯,真是奇妙。明明我每天都会在洗手间的镜子里把自己的脸看得腻烦,却从未注意到两边耳垂的大小居然差这么多。
我不戴耳环,也不打耳洞,所以左右耳垂大小不同,在现实中倒不会造成什么麻烦。不过,无论年纪多大,无论怎样反省和观察,关于自己,仍有那么多不知道、不明白的事。我不禁颇有感慨。
那么,大家的耳垂情况如何呢?左右大小不同吗?可耳垂究竟是为了什么才长出来的呢?在日常生活里,也不觉得它有什么特别的用途……。
Memory Almost Full
Hear Music
ポール・マッカートニーが歌います。「ダンス・トゥナイト」。マンドリンのイントロがいいです。
*
「七つの子」という童謡がありますね。「カラスなぜ鳴くの? カラスは山に、かわいい七つの子があるからよ」という歌です。作詞は野口雨情(のぐち・うじょう)。僕はこの歌を耳にするたびにいつも考え込んでしまうことになります。七つの子っていったい何だろう、と。巣に七羽の子どもがいるともとれるし、また七歳の子がいるともとれます。でもカラスってだいたい一度に三、四羽の子どもしか生んで育てないようです。七羽も子どもがいたら、とてもその面倒は見切れないから。またカラスが七歳ともなれば、かなりでかくなっていますし、とても「かわいい子ども」とは言えないはずです。いったいどういうことなんでしょうね?
作詞をした野口雨情さんに直接問いただしてみればいちばん早いんでしょうが、雨情さんは遙か昔、1945年に亡くなっています。それで、その「七つの子」の謎を巡ってこれまでに学者の間で長年にわたって論争がおこなわれてきたんだそうです。「七歳というのは人間の子どもがいちばん可愛い盛りであり、カラスにもそれと同じくらい可愛いと思える年頃の子どもがいるんだよ」という解釈もあるし、何らかの事情で実際に七羽の子どもがいるんだという説もあります。学者というのは本当にいろんなことを巡って論争するものですね。何を考えて鳴こうが、それこそカラスの勝手なんでしょうが。
でもね、僕は思うんですが、雨情さんは理屈がどうであれ、とにかく「七つ」という言葉が使いたかったのではないでしょうか? カラスが通常、何羽子どもをつくろうが、何歳で大人になろうが、そんな生物学的事実には関係なく、ただ「七つ」という言葉の響きに心を強く惹かれたんじゃないでしょうか? ふと、そんな気がします。詩人って、時としてそういう無謀・勝手なことをしますからね。
でもこれ、とくに根拠のない僕の個人的な憶測ですので、どうか論争とかに巻き込まないでくださいね。正直言って、別にどっちでもいいんです。
保罗·麦卡特尼演唱《Dance Tonight》。曼陀林的前奏很棒。
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有一首童谣叫《七个孩子》,歌词是:"乌鸦为什么叫?因为乌鸦在山上,有七个可爱的孩子呀。"作词是野口雨情。每次听到这首歌,我总会忍不住琢磨:所谓七个孩子,究竟是什么呢?可以理解为巢里有七只幼鸟,也可以理解为有一只七岁的孩子。但乌鸦一次大概只会生育、养大三四只幼鸟。要有七只,实在照顾不过来。而乌鸦如果七岁,也已经长得相当大了,很难称为"可爱的孩子"。这到底是怎么回事呢?
直接去问作词的野口雨情先生,当然最快,可雨情先生早在 1945 年就去世了。所以围绕《七个孩子》之谜,学者之间据说已经争论了很多年。有人解释说:七岁是人类孩子最可爱的年纪,乌鸦也有相当于这个年纪、同样可爱的孩子;也有人认为,因某种缘故,确实有七只幼鸟。学者真是什么事都能拿来争论啊。它们想什么、为什么叫,终归是乌鸦自己的自由。
不过我想,雨情先生不管道理如何,恐怕只是想用"七个"这个词吧?无论乌鸦通常生几只孩子,几岁成年,他都不在乎这些生物学事实,只是被"七个"这个词的音韵深深吸引了。忽然间我有这种感觉。诗人有时就是会做这种鲁莽又任性的事。
不过这只是我毫无根据的个人猜测,请千万别把我卷进什么争论。说实话,怎样都无所谓。
久しぶりにR.E.M. をかけます。初期のものですね。「Talk About The Passion(情熱について語る)」
*
これもまたまた童謡の話になりますが、昔作られた童謡って、古い言葉が使われているせいで、今となっては、よく意味がわからんというものがありますよね。たとえば「村の鍛冶屋(かじや)」という歌がありますが、今の子どもは鍛冶屋がどういうものかなんてわかりません。そういう職業自体がもう存在しなくなっちゃったわけだから。だからこの歌は小学校の音楽教科書から外されたということです。残念ですね。
僕は毎日朝早く起きて、机に向かってこつこつと小説を書いているときに、よくこの歌を思い出したものです。「しばしも休まず、槌(つち)打つ響き……」。自分を勤勉な村の鍛冶屋に見立てて、僕も頑張らなくちゃ……と自分を叱咤激励(しったげきれい)していました。
それからこれは以前ホームページを運営していたときに、ちょっと話題になった問題ですが、「赤い靴」という童謡がありますね。「赤い靴はいてた女の子、異人(いじん)さんに連れられていっちゃった」、これも「七つの子」と同じ野口雨情の作詞になるものです。
異人さん、つまり異邦人、ストレンジャー、外国人のことですが、今ではもうほとんど使われてない死語なので、意味のわからないまま歌っている子どもたち、間違った解釈のもとに歌っている子どもたち、あるいはそれがそのまま大きくなった大人たちがけっこうたくさんいました。
解釈の間違いでいちばん多かったのは「いい爺さん」でした。いい爺さんに連れられていっちゃった……のならまあいいか、とか思うんだけど、暗い裏道に来たら「いい爺さん」ががらりと豹変して、ひひひ……なんてことも起こりますので、注意しなくてはね、人は見かけによりません。
また「イージーさにつられていっちゃった」というかなり現代風の解釈もありました。これもまた怖いですね。「これって、なんかラクじゃん」みたいなことでふらふらと、よく知らない誰かにイージーについていったら、とんでもない目に遭わされるかもしれません。世の中、おっかないです。
久违地来放一首 R.E.M.,是早期作品。《Talk About The Passion》(谈论激情)。
*
这又要说到童谣。以前创作的童谣里,因为用了旧词,如今听起来常常不知道是什么意思。比如有首歌叫《村里的铁匠》,现在的孩子根本不知道铁匠是做什么的,因为这个职业本身已经不复存在了。据说这首歌因此被从小学音乐教材中删掉,真可惜。
我每天清晨早起,坐在书桌前一点点写小说时,常会想起这首歌:"片刻不停歇,铁锤敲击的声响……"我把自己比作勤奋的村里铁匠,想着我也得加把劲,于是鞭策自己。
还有一件是我以前运营个人网站时曾稍稍引起讨论的问题。有一首童谣叫《红鞋子》,歌词是"穿着红鞋的小女孩,被异人先生带走了",也是野口雨情写的,和《七个孩子》一样。
所谓"异人先生",也就是异邦人、stranger、外国人;如今这个词几乎已经不用,成了死词。所以有相当多的孩子是在不明其意的情况下唱,或是按错误的理解唱;而他们就那样长成大人。
最常见的误解是"好爷爷"。要是被好爷爷带走,倒也没什么吧;可一到了昏暗的小巷,"好爷爷"忽然露出真面目,嘿嘿嘿……这种事也不是没有,所以还是得小心,人不可貌相。
还有一种相当现代的解读:"被 easy 牵着走了"。这也很可怕。要是因为"这好像挺轻松嘛"而迷迷糊糊地跟着不太认识的人去追逐 easy,可能会遭遇很不得了的事。这个世界很吓人。
Drummin' Up A Storm - The Imperial Records Story
One Day Music
ダンテ&フレンズが歌います。「Miss America」。これはビーチ・ボーイズの歌で知られるようになったのですが、オリジナルはこちらです。
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つけ麺ライダーさん 49歳男性、愛知県の方からメールをいただきました。つけ麺ライダー、僕が差し上げたラジオネームですね。使っていただいてありがとうございます。ちょっと古くなりますが、10月に放送した「ローリングストーンズ・ソングブック」回への感想です。
<ストーンズのリフ話、おもしろかったです。ところで僕の知る限り、春樹さんからレッド・ツェッペリンの話を聞いたことないのですが、ツェッペリンに関しては、どのような見解でしょうか? ちなみに、ジミー・ペイジは、最近のおじいちゃんになってからの日本人ぽい顔が好きです>
はあ、見解ですか……。ツェッペリンねえ。若い頃もちろんしっかり聴いていますが、僕の守備範囲からはいくぶん外れているかなあ……という感はあります。僕がレコード店でバイトしている頃、「移民の歌」が店頭でやたらかかっていました。店長がツェッペリン好きだったんです。「あ、ああー」というイントロが今でも耳にしっかり残っています。
何年か前にレッド・ツェッペリンのベーシスト、ジョン・ポール・ジョーンズが自分のバンドを組んで日本に来まして、新宿のライブハウスで演奏したのですが、そのときに知人から「ジョン・ポール・ジョーンズがムラカミに会いたがっている」という話がありまして、僕もちょうど暇だったんで、聴きに行きました。
それで、何か手土産がいるなあと思って、いつも行く鮨屋で太巻きを巻いてもらいました。ここの太巻き、なかなかうまいんです。「これは、これからジョン・ポール・ジョーンズにお土産に持って行くんだよ」と話をしたら、職人さんがツェッペリンの大ファンで、「おれも実はベース弾きなんです」ということでした。「心を込めてしっかり巻きますから、ジョンジーさんによろしくお伝えください」
で、楽屋でジョンジーさんに太巻きを渡すときに、そのことを伝えたら「おお、そうか、ありがとう。心して食べるよ」ということでした。音楽にはほとんど関係ない話なんですけど。
それではレッド・ツェッペリンの「移民の歌」を聴いてください……と言いたいところですが、かけません。すみません。ぜんぜん関係なく、エルジー・ビアンキがピアノを弾いて歌います。「The Sweetest Sound」。
由 Dante & Friends 演唱《Miss America》。这首歌后来因海滩男孩的版本而广为人知,不过原版是这一首。
*
我收到一封来自爱知县、49 岁男性听众"蘸面骑士"的来信。蘸面骑士是我送给你的电台昵称,谢谢你一直在用。内容稍微旧一些,是对十月播出的"滚石乐队歌曲集"那一期的感想。
<讲滚石乐队 riff 的那段很有意思。话说,据我所知,从没听春树先生谈过齐柏林飞艇;对于齐柏林飞艇,您有什么看法呢?顺便一提,我喜欢吉米·佩奇近年当上爷爷后那张有点像日本人的脸>
啊,看法啊……齐柏林飞艇嘛。年轻时我当然认真听过,不过总觉得稍微不在我的守备范围内……我在唱片店打工的时候,店里老是放《Immigrant Song》,因为店长喜欢齐柏林飞艇。那个"啊、啊啊——"的前奏,至今仍牢牢留在我耳中。
几年前,齐柏林飞艇的贝斯手约翰·保罗·琼斯带着自己的乐队来日本,在新宿一家现场演出场地演奏。当时有熟人告诉我:"约翰·保罗·琼斯想见村上。"我正好也闲着,就去听了。
我想,总得带点伴手礼,于是请常去的寿司店卷了太卷寿司。那家的太卷相当好吃。我告诉店里的师傅:"这要送给约翰·保罗·琼斯当礼物。"师傅恰好是齐柏林飞艇的大粉丝,还说:"其实我也是个贝斯手。""我会用心卷好,请代我向琼斯先生问好。"
在后台把太卷交给琼斯先生时,我把这事告诉了他。他说:"哦,是吗?谢谢。我会怀着敬意吃掉它。"这几乎和音乐没什么关系。
那么接下来请听齐柏林飞艇的《Immigrant Song》……我倒很想这么说,但不放,抱歉。完全没关系地,埃尔茜·比安奇边弹钢琴边演唱《The Sweetest Sound》。
The Sweetest Sound!
ジャパン ジャズ クラブ
ダンテ&フレンズが歌います。「Miss America」。これはビーチ・ボーイズの歌で知られるようになったのですが、オリジナルはこちらです。
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つけ麺ライダーさん 49歳男性、愛知県の方からメールをいただきました。つけ麺ライダー、僕が差し上げたラジオネームですね。使っていただいてありがとうございます。ちょっと古くなりますが、10月に放送した「ローリングストーンズ・ソングブック」回への感想です。
<ストーンズのリフ話、おもしろかったです。ところで僕の知る限り、春樹さんからレッド・ツェッペリンの話を聞いたことないのですが、ツェッペリンに関しては、どのような見解でしょうか? ちなみに、ジミー・ペイジは、最近のおじいちゃんになってからの日本人ぽい顔が好きです>
はあ、見解ですか……。ツェッペリンねえ。若い頃もちろんしっかり聴いていますが、僕の守備範囲からはいくぶん外れているかなあ……という感はあります。僕がレコード店でバイトしている頃、「移民の歌」が店頭でやたらかかっていました。店長がツェッペリン好きだったんです。「あ、ああー」というイントロが今でも耳にしっかり残っています。
何年か前にレッド・ツェッペリンのベーシスト、ジョン・ポール・ジョーンズが自分のバンドを組んで日本に来まして、新宿のライブハウスで演奏したのですが、そのときに知人から「ジョン・ポール・ジョーンズがムラカミに会いたがっている」という話がありまして、僕もちょうど暇だったんで、聴きに行きました。
それで、何か手土産がいるなあと思って、いつも行く鮨屋で太巻きを巻いてもらいました。ここの太巻き、なかなかうまいんです。「これは、これからジョン・ポール・ジョーンズにお土産に持って行くんだよ」と話をしたら、職人さんがツェッペリンの大ファンで、「おれも実はベース弾きなんです」ということでした。「心を込めてしっかり巻きますから、ジョンジーさんによろしくお伝えください」
で、楽屋でジョンジーさんに太巻きを渡すときに、そのことを伝えたら「おお、そうか、ありがとう。心して食べるよ」ということでした。音楽にはほとんど関係ない話なんですけど。
それではレッド・ツェッペリンの「移民の歌」を聴いてください……と言いたいところですが、かけません。すみません。ぜんぜん関係なく、エルジー・ビアンキがピアノを弾いて歌います。「The Sweetest Sound」。
由 Dante & Friends 演唱《Miss America》。这首歌后来因海滩男孩的版本而广为人知,不过原版是这一首。
*
我收到一封来自爱知县、49 岁男性听众"蘸面骑士"的来信。蘸面骑士是我送给你的电台昵称,谢谢你一直在用。内容稍微旧一些,是对十月播出的"滚石乐队歌曲集"那一期的感想。
<讲滚石乐队 riff 的那段很有意思。话说,据我所知,从没听春树先生谈过齐柏林飞艇;对于齐柏林飞艇,您有什么看法呢?顺便一提,我喜欢吉米·佩奇近年当上爷爷后那张有点像日本人的脸>
啊,看法啊……齐柏林飞艇嘛。年轻时我当然认真听过,不过总觉得稍微不在我的守备范围内……我在唱片店打工的时候,店里老是放《Immigrant Song》,因为店长喜欢齐柏林飞艇。那个"啊、啊啊——"的前奏,至今仍牢牢留在我耳中。
几年前,齐柏林飞艇的贝斯手约翰·保罗·琼斯带着自己的乐队来日本,在新宿一家现场演出场地演奏。当时有熟人告诉我:"约翰·保罗·琼斯想见村上。"我正好也闲着,就去听了。
我想,总得带点伴手礼,于是请常去的寿司店卷了太卷寿司。那家的太卷相当好吃。我告诉店里的师傅:"这要送给约翰·保罗·琼斯当礼物。"师傅恰好是齐柏林飞艇的大粉丝,还说:"其实我也是个贝斯手。""我会用心卷好,请代我向琼斯先生问好。"
在后台把太卷交给琼斯先生时,我把这事告诉了他。他说:"哦,是吗?谢谢。我会怀着敬意吃掉它。"这几乎和音乐没什么关系。
那么接下来请听齐柏林飞艇的《Immigrant Song》……我倒很想这么说,但不放,抱歉。完全没关系地,埃尔茜·比安奇边弹钢琴边演唱《The Sweetest Sound》。
今日のクロージング音楽はクリフォード・ブラウンの演奏する「スターダスト」です。本当に才能豊かで革新的なトランペッターだったんですが、1956年に交通事故で亡くなってしまいました。まだ25歳という若さでした。とても残念なことです。もし彼がもっと長生きしていたら……というのはジャズの歴史の中で最も重い仮説の1つになっています。
今天的结尾音乐是克利福德·布朗演奏的《Stardust》。他实在是一位才华横溢、富有革新精神的小号手,却在 1956 年因交通事故去世,年仅 25 岁,十分令人惋惜。"如果他能活得更久一些……",已成为爵士乐历史中最沉重的假设之一。