村上

R A D I O

Vol. 079

本期节目介绍

~ローラ・ニーロ・ソングブック~ ~劳拉·尼罗歌曲集~

こんばんは、村上春樹です。村上RADIO。今夜は「ローラ・ニーロ・ソングブック」をお送りします。ローラ・ニーロをご存じでしょうか?「そんな人知らない。聞いたこともない」という若い方も多いかもしれませんね。ローラ・ニーロは、僕とだいたい同世代のアメリカ人の女性歌手で、ジョニ・ミッチェルと並んで女性シンガー・ソングライターの草分け的な存在になっています。自ら自作曲を歌ったバージョンはなぜか、商業的には目立った成功を収めませんでしたが、彼女の作詞作曲した曲は多くのミュージシャンによって取り上げられて歌われ、大ヒットしました。今日はそんな曲をまとめておかけします。

<オープニング曲>

Donald Fagen「Madison Time」

ローラ・ニーロが歌手としてデビューしたのは、ちょうど僕が大学に入った頃ですから、彼女もまだ20歳前後だったんですね。僕が1人で東京に出てきて、ラジオで初めて「ウェディング・ベル・ブルーズ」を聴いたときのことを、そのときの情景を、今でもよく覚えています。

「なんて新鮮で素敵な曲だろう」と感じ入りました。新しい環境の中で、なんか胸をずんと打たれたというか……。

彼女は最初のうち「天才少女」として世間の熱い注目を浴びるのですが、音楽業界の押しつける商業主義と水が合わなくて、あくまで自分の信念を貫き、次第にマスメディアから遠ざかった存在になっていきます。彼女は1997年に、49歳の若さで卵巣癌のためにこの世を去りましたが、その誠実な人間味溢れる音楽は、今に至るまで忘れられることなく、多くのファンに愛され支持されています。
大家晚上好,我是村上春树。这里是村上 RADIO。今晚为大家带来“劳拉·尼罗歌曲集”。大家知道劳拉·尼罗吗?也许不少年轻朋友会说:“不认识这个人,连听都没听说过。”劳拉·尼罗是一位与我大致同龄的美国女歌手,和琼妮·米切尔一样,是女性创作歌手的先驱。不知为什么,她亲自演唱自己作品的版本,在商业上并没有取得特别显著的成功,但她作词作曲的歌曲却被许多音乐人选来演唱,成为大热门。今天就把这些歌曲集中起来放给大家听。

<开场曲>

唐纳德·费根《Madison Time》

劳拉·尼罗作为歌手出道时,正好是我刚上大学的时候,所以她当时也才二十岁上下吧。我独自来到东京,第一次从收音机里听到《Wedding Bell Blues》时的情形,直到现在还记得很清楚。

当时我深有感触地想:“多么新鲜、多么美妙的一首歌啊。”身处一个全新的环境,有种内心被重重击中的感觉……

起初,她作为“天才少女”受到世人的热切关注,但她与音乐业强加给她的商业主义格格不入,始终坚持自己的信念,渐渐远离了大众媒体。1997 年,她因卵巢癌去世,年仅 49 岁。不过,她那真诚、充满人情味的音乐,直到今天都没有被遗忘,依然得到许多乐迷的喜爱和支持。

本期歌单

Tracklist
stoned soul picnic: the best of laura nyro

— Laura Nyro
stoned soul picnic: the best of laura nyro Columbia / Legacy

今夜は「ローラ・ニーロ・ソングブック」をお送りします。

まずはその印象的な、彼女にとってのデビュー曲「ウェディング・ベル・ブルーズ」を聴いてください。ビルという男に恋をしているんだけど、彼は私となかなか結婚してくれないのよ、と嘆く女性の歌です。「ビル!」という叫びというか、かなり切実な呼びかけで曲が始まります。

このあいだ「Soul Picnic」というタイトルのローラ・ニーロの伝記を読んだのですが、それによると、この「ビル」というのは、ジャズ歌手ヘレン・メリルの当時の恋人の名前だったんですね。ローラはメリルさんの息子のアラン・メリルと幼なじみで、よくメリル家に遊びにいっていたのですが、ヘレンさんが「ビルが私となかなか結婚してくれないのよ」と嘆くのをそばで聞いていて、「それでいこう!」と思いついてこの曲を書いたということでした。

まずローラさん本人の歌で聴いてください。それから途中でフィフス・ディメンションの歌に切りかわります。フィフス・ディメンションのバージョンは、全米ヒットチャートの1位に輝きました。ローラ本人の歌のほうが、ビルさんへの訴えの必死さはリアルに伝わってくる気がするんですけどね。
今晚为大家带来“劳拉·尼罗歌曲集”。

首先,请听她那首令人印象深刻的出道曲《Wedding Bell Blues》。歌中的女人爱上了一个名叫比尔的男人,却叹息着:“他就是迟迟不肯和我结婚呀。”歌曲一开头就是一声“比尔!”,说是呼喊也好,总之是一声相当急切的呼唤。

前些日子,我读了一本名叫《Soul Picnic》的劳拉·尼罗传记。书里说,这个“比尔”,原来是爵士歌手海伦·梅里尔当时恋人的名字。劳拉和梅里尔女士的儿子艾伦·梅里尔是青梅竹马,经常去梅里尔家玩。她在一旁听见海伦叹气说:“比尔就是迟迟不肯和我结婚呀。”便灵机一动:“就写这个吧!”于是写出了这首歌。

先请听劳拉本人的演唱,之后会在中途切换到第五维度合唱团(The 5th Dimension)的版本。第五维度的版本登上了全美热门歌曲排行榜的榜首。不过,我总觉得劳拉自己唱的版本,更能真切地传达出她向比尔苦苦哀求的那种迫切感。

The Age Of Aquarius

— The 5th Dimension
The Age Of Aquarius Arista

今夜は「ローラ・ニーロ・ソングブック」をお送りします。

まずはその印象的な、彼女にとってのデビュー曲「ウェディング・ベル・ブルーズ」を聴いてください。ビルという男に恋をしているんだけど、彼は私となかなか結婚してくれないのよ、と嘆く女性の歌です。「ビル!」という叫びというか、かなり切実な呼びかけで曲が始まります。

このあいだ「Soul Picnic」というタイトルのローラ・ニーロの伝記を読んだのですが、それによると、この「ビル」というのは、ジャズ歌手ヘレン・メリルの当時の恋人の名前だったんですね。ローラはメリルさんの息子のアラン・メリルと幼なじみで、よくメリル家に遊びにいっていたのですが、ヘレンさんが「ビルが私となかなか結婚してくれないのよ」と嘆くのをそばで聞いていて、「それでいこう!」と思いついてこの曲を書いたということでした。

まずローラさん本人の歌で聴いてください。それから途中でフィフス・ディメンションの歌に切りかわります。フィフス・ディメンションのバージョンは、全米ヒットチャートの1位に輝きました。ローラ本人の歌のほうが、ビルさんへの訴えの必死さはリアルに伝わってくる気がするんですけどね。
今晚为大家带来“劳拉·尼罗歌曲集”。

首先,请听她那首令人印象深刻的出道曲《Wedding Bell Blues》。歌中的女人爱上了一个名叫比尔的男人,却叹息着:“他就是迟迟不肯和我结婚呀。”歌曲一开头就是一声“比尔!”,说是呼喊也好,总之是一声相当急切的呼唤。

前些日子,我读了一本名叫《Soul Picnic》的劳拉·尼罗传记。书里说,这个“比尔”,原来是爵士歌手海伦·梅里尔当时恋人的名字。劳拉和梅里尔女士的儿子艾伦·梅里尔是青梅竹马,经常去梅里尔家玩。她在一旁听见海伦叹气说:“比尔就是迟迟不肯和我结婚呀。”便灵机一动:“就写这个吧!”于是写出了这首歌。

先请听劳拉本人的演唱,之后会在中途切换到第五维度合唱团(The 5th Dimension)的版本。第五维度的版本登上了全美热门歌曲排行榜的榜首。不过,我总觉得劳拉自己唱的版本,更能真切地传达出她向比尔苦苦哀求的那种迫切感。

stoned soul picnic: the best of laura nyro

— Laura Nyro
stoned soul picnic: the best of laura nyro Columbia / Legacy

次は「And When I Die」を聴いてください。

これはブラッド・スウェット・アンド・ティアーズの歌で大ヒットしました。1969年に全米ヒットチャートの2位につけています。すごいですね。当時、彼女の書く曲には人々の心に広く強く率直に訴えかけるものがあったんでしょうね。

ローラはブラッド・スウェット・アンド・ティアーズのメンバーと仲が良くて、そのバンドのリード・シンガーをやらないかと誘われていました。アル・クーパーがクビになったので、その後釜に座らないかと。本人もけっこうその気になっていたのですが、当時彼女のマネジャーをやっていたデヴィッド・ゲフィンが「冗談じゃない。ローラはこれからソロ歌手として売り出すんだから」と強く主張し、その話は流れてしまいました。でもブラッド・スウェット・アンド・ティアーズは、代わりにデヴィッド・クレイトン・トーマスをリード歌手に迎えて大ブレークしましたから、結果的にはお互いそれでよかったみたいですけどね。

そのデヴィッド・クレイトン・トーマスが野太い声でがっつりと歌い上げます、「And When I Die」。「僕が死んじゃっても、子どもが1人生まれたら、それで世の中はこともなく進んでいくんだよ」という歌詞です。これ、どう考えても20歳前の女の子が書くような歌詞じゃないですよね。彼女のつくる歌には常に物語があります。曲はどっしりと始まりますが,途中でぱっと明るくなるところがあります。そういうちょっと意外な展開がローラの個性というか、持ち味です。

聴いてください。「And When I Die」。まずローラの歌で、それからブラッド・スウェット・アンド・ティアーズに切り替わります。
接下来,请听《And When I Die》。

这首歌经血汗泪乐队(Blood, Sweat & Tears)演唱后大受欢迎,1969 年登上了全美热门歌曲排行榜第二名。真了不起啊。那时候,她写的歌大概有种力量,能够广泛而强烈地、直率地打动人心吧。

劳拉和血汗泪乐队的成员关系很好,乐队还邀请她来担任主唱。因为艾尔·库珀被解雇了,所以想请她接替他的位置。她本人也颇有这个意思,但当时担任她经纪人的大卫·格芬坚决表示:“开什么玩笑!我们接下来要把劳拉作为独唱歌手推出去。”于是这件事就不了了之。不过,血汗泪乐队后来找来了大卫·克莱顿-托马斯担任主唱,并由此大获成功,所以从结果来看,这样对双方似乎都挺好的。

这位大卫·克莱顿-托马斯用粗犷浑厚的嗓音,铆足劲儿唱出了《And When I Die》。歌词大意是:“就算我死了,只要有一个孩子出生,这个世界就会照常运转下去。”这怎么想,也不像是一个还没满二十岁的女孩会写出来的歌词吧。她写的歌里总有故事。曲子开头沉稳厚重,中途却有突然明亮起来的地方。这种略微出人意料的转折,正是劳拉的个性,或者说她独有的味道。

请听《And When I Die》。先放劳拉的演唱,之后切换到血汗泪乐队的版本。

Blood, Sweat And Tears

— Blood, Sweat And Tears
Blood, Sweat And Tears Columbia

次は「And When I Die」を聴いてください。

これはブラッド・スウェット・アンド・ティアーズの歌で大ヒットしました。1969年に全米ヒットチャートの2位につけています。すごいですね。当時、彼女の書く曲には人々の心に広く強く率直に訴えかけるものがあったんでしょうね。

ローラはブラッド・スウェット・アンド・ティアーズのメンバーと仲が良くて、そのバンドのリード・シンガーをやらないかと誘われていました。アル・クーパーがクビになったので、その後釜に座らないかと。本人もけっこうその気になっていたのですが、当時彼女のマネジャーをやっていたデヴィッド・ゲフィンが「冗談じゃない。ローラはこれからソロ歌手として売り出すんだから」と強く主張し、その話は流れてしまいました。でもブラッド・スウェット・アンド・ティアーズは、代わりにデヴィッド・クレイトン・トーマスをリード歌手に迎えて大ブレークしましたから、結果的にはお互いそれでよかったみたいですけどね。

そのデヴィッド・クレイトン・トーマスが野太い声でがっつりと歌い上げます、「And When I Die」。「僕が死んじゃっても、子どもが1人生まれたら、それで世の中はこともなく進んでいくんだよ」という歌詞です。これ、どう考えても20歳前の女の子が書くような歌詞じゃないですよね。彼女のつくる歌には常に物語があります。曲はどっしりと始まりますが,途中でぱっと明るくなるところがあります。そういうちょっと意外な展開がローラの個性というか、持ち味です。

聴いてください。「And When I Die」。まずローラの歌で、それからブラッド・スウェット・アンド・ティアーズに切り替わります。
接下来,请听《And When I Die》。

这首歌经血汗泪乐队(Blood, Sweat & Tears)演唱后大受欢迎,1969 年登上了全美热门歌曲排行榜第二名。真了不起啊。那时候,她写的歌大概有种力量,能够广泛而强烈地、直率地打动人心吧。

劳拉和血汗泪乐队的成员关系很好,乐队还邀请她来担任主唱。因为艾尔·库珀被解雇了,所以想请她接替他的位置。她本人也颇有这个意思,但当时担任她经纪人的大卫·格芬坚决表示:“开什么玩笑!我们接下来要把劳拉作为独唱歌手推出去。”于是这件事就不了了之。不过,血汗泪乐队后来找来了大卫·克莱顿-托马斯担任主唱,并由此大获成功,所以从结果来看,这样对双方似乎都挺好的。

这位大卫·克莱顿-托马斯用粗犷浑厚的嗓音,铆足劲儿唱出了《And When I Die》。歌词大意是:“就算我死了,只要有一个孩子出生,这个世界就会照常运转下去。”这怎么想,也不像是一个还没满二十岁的女孩会写出来的歌词吧。她写的歌里总有故事。曲子开头沉稳厚重,中途却有突然明亮起来的地方。这种略微出人意料的转折,正是劳拉的个性,或者说她独有的味道。

请听《And When I Die》。先放劳拉的演唱,之后切换到血汗泪乐队的版本。

Three Dog Night / Suitable For Framing

— Three Dog Night
Three Dog Night / Suitable For Framing BGO Records

次は「Eli's Coming(イーライズ・カミン)」です。先ほどおかけした2曲は彼女が1967年にヴァーヴ・レコードから出したデビュー・アルバムに収められていたものですが、この曲はコロンビア・レコードに移籍して最初に出したアルバム『Eli and the Thirteenth Confession』(日本でのタイトル:イーライと13番目の懺悔)に入っています。これはほんとに素晴らしいアルバムで、何度聴いても聴き飽きません。中でも「イーライズ・カミン」はスリー・ドッグ・ナイトがカバーしてヒットし、1969年に全米チャートの10位にランクされました。

イーライはイライジャの略で、ユダヤ系の名前です。きっとハンサムなちょい悪男子だったんでしょうね。女の子たちがすぐに騙されてしまう。3分くらいの短い曲の中にそういうストーリーが盛り込まれています。「ウェディング・ベル・ブルーズ」のビルもそうだったけど、名前の使い方になんか妙にリアリティがありますよね。

ローラ・ニーロが登場するまで、彼女が書いたような音楽を書いて歌う人はどこにもいませんでした。歌詞からメロディから和音まで、すべてが新鮮だったんです。全然ありきたりじゃなかった。この「イーライズ・カミン」にしてもとってもユニークな、なんだか不思議な曲です。でもつい口ずさんでしまいたくなる、共感性みたいなものがあります。

聴いてください。Three Dog Nightが歌います。「イーライズ・カミン」。
接下来是《Eli's Coming》。刚才播放的两首歌,都收录在她 1967 年由 Verve 唱片公司发行的首张专辑里,而这首歌则出自她转投哥伦比亚唱片公司后发行的第一张专辑《Eli and the Thirteenth Confession》(日本发行时的标题意为《伊莱与第十三次忏悔》)。这真是一张非常出色的专辑,无论听多少遍都不会厌倦。其中,《Eli's Coming》被三狗之夜乐队(Three Dog Night)翻唱后大受欢迎,1969 年登上全美排行榜第十名。

伊莱是伊莱贾的简称,是一个犹太人的名字。想必是个英俊又带点坏劲儿的男孩子吧,女孩子们很容易就会被他骗了。短短三分钟左右的歌曲里,就装进了这样一个故事。刚才《Wedding Bell Blues》里的比尔也是如此,她运用人名的方式,总有一种特别的真实感。

在劳拉·尼罗出现之前,没有人创作并演唱过她那样的音乐。从歌词、旋律到和弦,一切都那么新鲜,完全不落俗套。就拿这首《Eli's Coming》来说,也是一首很独特、带着某种奇妙感觉的歌。可它又有一种让人产生共鸣的东西,使人忍不住想跟着哼唱。

请听三狗之夜乐队演唱的《Eli's Coming》。

stoned soul picnic: the best of laura nyro

— Laura Nyro
stoned soul picnic: the best of laura nyro Columbia / Legacy

ローラ・ニーロは数多くの名曲を書いていますが、僕は個人的にこの曲が一番好きみたいです。「ストーンド・ソウル・ピクニック」。わかったような、わからないようなタイトルであり、歌詞ですね。Stonedっていうと、だいたいは麻薬で深くラリるという意味なのですが、この曲の場合はハード・ドラッグの雰囲気はなくて、「みんなでご機嫌なピクニックにでかけようよ」というくらいのソフトでドリーミーな、ちょっと煙っぽいくらいの内容だと僕は解釈しています。

まずローラの歌で聴いていただいて、途中からザ・ステイプル・シンガーズのソウルフルな歌にかわります。ローラのトラックをジョン・トロペイ(John Tropea)、チャック・レイニー、ジョージ・ヤングといったNYの腕利きミュージシャンが、ザ・ステイプル・シンガーズのほうはブッカー・T・ジョーンズの率いるメンフィスのミュージシャンたちがバックを務めています。テイストはけっこう違っていて面白いですね。この曲もLP「Eli and the Thirteenth Confession(イーライと13番目の懺悔)」に収められています。

ちなみにこの曲はフィフス・ディメンションがカバーして、全米チャートの3位に入りました。僕はローラ自身が歌ったバージョンのほうが気に入っていますが、彼女の歌った自作曲のシングル盤って、100位以内に1枚もチャートインしていないんです。不思議ですね。彼女の声がいささか甲高いということも影響していたかもしれないけど、あるいは彼女の音楽を愛する人たちの多くはシングル盤じゃなく、LPを買ってじっくりと音楽を聴き込んでいたのかもしれませんね。
劳拉·尼罗写过许多名曲,不过对我个人来说,似乎最喜欢的还是这首《Stoned Soul Picnic》。无论是歌名还是歌词,都让人觉得似懂非懂。Stoned 这个词通常是指吸毒后陷入很深的迷醉状态,但这首歌并没有烈性毒品的气息。在我看来,它表达的更像是“大家一起去开开心心地野餐吧”,柔和、梦幻,带着一点烟雾缭绕的感觉。

先请听劳拉的演唱,中途会切换到斯台普尔歌手合唱团(The Staple Singers)充满灵魂乐韵味的版本。劳拉的录音由约翰·特罗佩亚(John Tropea)、查克·雷尼、乔治·扬等纽约乐坛的高手伴奏,而斯台普尔歌手合唱团的版本,则由布克·T·琼斯率领的孟菲斯乐手伴奏。两种风味相当不同,很有意思。这首歌也收录在密纹唱片《Eli and the Thirteenth Confession》(《伊莱与第十三次忏悔》)里。

顺便一提,第五维度合唱团翻唱这首歌后,登上了全美排行榜第三名。我更喜欢劳拉自己唱的版本,但她亲自演唱自己作品的单曲唱片,竟然没有一张进入过排行榜前一百名。真奇怪啊。她的嗓音稍微有些尖高,也许有这方面的影响;又或许,喜欢她音乐的人大多并不买单曲唱片,而是买下整张密纹唱片,静下心来反复聆听吧。

Sassafras & Moonshine (The Songs Of Laura Nyro)

— The Staple Singers
Sassafras & Moonshine (The Songs Of Laura Nyro) Ace

ローラ・ニーロは数多くの名曲を書いていますが、僕は個人的にこの曲が一番好きみたいです。「ストーンド・ソウル・ピクニック」。わかったような、わからないようなタイトルであり、歌詞ですね。Stonedっていうと、だいたいは麻薬で深くラリるという意味なのですが、この曲の場合はハード・ドラッグの雰囲気はなくて、「みんなでご機嫌なピクニックにでかけようよ」というくらいのソフトでドリーミーな、ちょっと煙っぽいくらいの内容だと僕は解釈しています。

まずローラの歌で聴いていただいて、途中からザ・ステイプル・シンガーズのソウルフルな歌にかわります。ローラのトラックをジョン・トロペイ(John Tropea)、チャック・レイニー、ジョージ・ヤングといったNYの腕利きミュージシャンが、ザ・ステイプル・シンガーズのほうはブッカー・T・ジョーンズの率いるメンフィスのミュージシャンたちがバックを務めています。テイストはけっこう違っていて面白いですね。この曲もLP「Eli and the Thirteenth Confession(イーライと13番目の懺悔)」に収められています。

ちなみにこの曲はフィフス・ディメンションがカバーして、全米チャートの3位に入りました。僕はローラ自身が歌ったバージョンのほうが気に入っていますが、彼女の歌った自作曲のシングル盤って、100位以内に1枚もチャートインしていないんです。不思議ですね。彼女の声がいささか甲高いということも影響していたかもしれないけど、あるいは彼女の音楽を愛する人たちの多くはシングル盤じゃなく、LPを買ってじっくりと音楽を聴き込んでいたのかもしれませんね。
劳拉·尼罗写过许多名曲,不过对我个人来说,似乎最喜欢的还是这首《Stoned Soul Picnic》。无论是歌名还是歌词,都让人觉得似懂非懂。Stoned 这个词通常是指吸毒后陷入很深的迷醉状态,但这首歌并没有烈性毒品的气息。在我看来,它表达的更像是“大家一起去开开心心地野餐吧”,柔和、梦幻,带着一点烟雾缭绕的感觉。

先请听劳拉的演唱,中途会切换到斯台普尔歌手合唱团(The Staple Singers)充满灵魂乐韵味的版本。劳拉的录音由约翰·特罗佩亚(John Tropea)、查克·雷尼、乔治·扬等纽约乐坛的高手伴奏,而斯台普尔歌手合唱团的版本,则由布克·T·琼斯率领的孟菲斯乐手伴奏。两种风味相当不同,很有意思。这首歌也收录在密纹唱片《Eli and the Thirteenth Confession》(《伊莱与第十三次忏悔》)里。

顺便一提,第五维度合唱团翻唱这首歌后,登上了全美排行榜第三名。我更喜欢劳拉自己唱的版本,但她亲自演唱自己作品的单曲唱片,竟然没有一张进入过排行榜前一百名。真奇怪啊。她的嗓音稍微有些尖高,也许有这方面的影响;又或许,喜欢她音乐的人大多并不买单曲唱片,而是买下整张密纹唱片,静下心来反复聆听吧。

Eli And The Thirteenth Confession

— Laura Nyro
Eli And The Thirteenth Confession Columbia

これもLP「Eli and the Thirteenth Confession(イーライと13番目の懺悔)」に入っている曲です。「Lonely Woman」オーネット・コールマンの作った有名な同名の曲がありますが、こちらはローラの作曲した別物です。ブルージーで素敵な曲ですが、このトラックの聴きものはなんといっても、ズート・シムズが裏につけるテナーサックスの優しく静かなバッキングです。シムズはこの時期、かなり調子を落としていたみたいで、スタジオでレコーディングするのは2年ぶりだったということですが、ここでは心のこもった見事な演奏を聴かせくれます。ローラの歌にそっと寄り添うような、気配を殺した繊細な息づかいが素晴らしいです。おお、さすがズート・シムズって感じですね。

ローラはズート・シムズがどれくらい凄い人なのか知らなかったようですが、そのときのレコーディングについて後にこのように語っています。「そのテナーサックスはあまりに素晴らしかったので、私は思わずそこに座り込んでおいおい泣き出してしまった。彼は自らの抱える孤独と、そこにある音楽とをひとつに繋ぎ合わせてしまったのよ。それは文句なしに美しいものだった」

この曲はカバーではなく、最初から最後までローラ・ニーロ自身の歌でおかけします。じっくり聴いてください。「Lonely Women」です。
这首歌也收录在密纹唱片《Eli and the Thirteenth Confession》(《伊莱与第十三次忏悔》)里,叫作《Lonely Woman》。奥内特·科尔曼写过一首著名的同名曲,不过这里播放的是劳拉创作的另一首作品。这首歌充满布鲁斯韵味,十分动人,而这段录音最值得细听的,无疑是祖特·西姆斯在歌声背后吹奏的次中音萨克斯:温柔而安静的伴奏。西姆斯在那个时期似乎状态相当低迷,据说这是他两年来第一次走进录音棚录音,但在这里,他为我们献上了充满真情的精彩演奏。他收敛起自己的存在感,以细腻的气息轻轻依偎在劳拉的歌声旁,实在太美妙了。让人忍不住感叹:“哦,不愧是祖特·西姆斯啊。”

劳拉当时似乎并不知道祖特·西姆斯有多么了不起,但后来谈到那次录音时,她这样说道:“那段次中音萨克斯实在太美妙了,我忍不住坐在那里,放声哭了起来。他把自己内心的孤独,和眼前的音乐融为了一体。那是无可挑剔的美。”

这首歌我们不放翻唱版,而是从头到尾播放劳拉·尼罗本人的演唱。请静下心来听一听,《Lonely Women》。

Stoney End

— Barbra Streisand
Stoney End Columbia

ローラ・ニーロは多くのミュージシャンに影響を与えましたが、かのボブ・ディランも彼女の音楽に注目していた同業者の1人でした。ボブ・ディランは、とあるパーティーでニーロと同席したとき、つかつかと初対面の彼女のところにやってきて、言いました。「君がやっていることが僕は好きだ。君の使う和音が好きだ。どうやったら君みたいにピアノが弾けるのか、弾き方を教えてもらえないかな」と。

それに対してローラはくすくす笑って、「あなたがギターの弾き方を私に教えてくれるのなら、ピアノの弾き方を教えて差し上げますよ」と言ったそうです。いいですねえ。ローラはもちろんボブ・ディランの大ファンでした。

ピアノを用いて弾き語りをするシンガー・ソングライターは当時、ローラの他にいなかったんです。1960年代のロック・シーンはなんといっても、ギターが中心、そして男性主導でしたからね。そういう意味では、彼女が新しいトレンドを設定したことになります。彼女のあとにビリー・ジョエルとか、エルトン・ジョンとか、そういったピアノを弾いて歌う歌手が続々と登場してきました。キャロル・キングにしても、作曲家としてはローラ・ニーロよりずっと先輩にあたりますが、ピアノを弾くシンガー・ソングライターとして活躍し始めたのは、ローラが登場したあとのことですし、明らかにローラの存在からインスピレーションを得ています。

ローラの作った「ストーニー・エンド」をバーブラ・ストライサンドが歌います。このバージョンは大ヒットして、全米チャートの6位にまで上がりました。バーブラは当時、いっときに比べて人気が低落気味だったんですが、ローラの曲のいくつかを取り上げて歌うことで、再び人気を盛り返しました。ローラの音楽との相性がよかったんでしょうね。いささかダイナミックに盛り上がり過ぎじゃないかと、僕的には思わないでもないですが。

ちゃきちゃきの都会育ちのローラがこんなローカルな労働者の歌詞を書くんですね。「Stoney End」というのは険しく厳しい道のことみたいです。
劳拉·尼罗影响过许多音乐人,大名鼎鼎的鲍勃·迪伦也是关注她音乐的同行之一。有一次,两人在一个聚会上碰面,鲍勃·迪伦径直走到初次见面的劳拉面前,说:“我喜欢你做的音乐,喜欢你用的和弦。怎样才能像你那样弹钢琴呢?你能教教我吗?”

据说劳拉听了咯咯笑着回答:“如果你肯教我弹吉他,我就教你弹钢琴。”真好啊。劳拉当然也是鲍勃·迪伦的忠实乐迷。

当时,像劳拉那样用钢琴自弹自唱的创作歌手,还没有别人。毕竟,二十世纪六十年代的摇滚乐坛以吉他为中心,而且是男性主导的。从这个意义上说,是她开创了一股新的潮流。在她之后,比利·乔尔、埃尔顿·约翰等一边弹钢琴一边唱歌的歌手,陆续登场。即使是卡罗尔·金,作为作曲家,她的资历远比劳拉·尼罗深,但作为弹钢琴的创作歌手开始活跃,也是在劳拉登场之后,而且显然从劳拉那里得到了灵感。

接下来,由芭芭拉·史翠珊演唱劳拉创作的《Stoney End》。这个版本大受欢迎,一路升到了全美排行榜第六名。芭芭拉当时的人气比起从前略有下滑,但通过选唱劳拉的几首作品,又重新赢得了人气。大概是她和劳拉的音乐很合拍吧。不过,我个人也难免觉得,情绪是不是渲染得稍微太强烈了一点。

劳拉是个地地道道在大都市长大的人,却写出了这样描写地方劳动者的歌词。“Stoney End”似乎指的是一条崎岖艰难的道路。

time and love - the music of laura nyro

— Phoebe Snow
time and love - the music of laura nyro Astor Place

フィービ・スノウが「タイム・アンド・ラブ」を歌います。ニーロの3枚目のアルバム『ニューヨーク・テンダベリー』に収められている曲です。フィービもローラ・ニーロの熱烈なファンでした。

ローラ・ニーロはニューヨークのブロンクスで、イタリア系の父親とユダヤ系の母親の間に生まれました。いかにもブロンクスっぽい組み合わせですね。お父さんはジャズのトランペッターだったのですが、演奏の合間にピアノの調律師の仕事もしていました。で、そのお父さんがある日、調律に呼ばれて行ったところが、たまたまアーティー・モーグルというかなり名の知れた音楽マネジャーの事務所でして、お父さんは「実は18になるうちの娘が、作曲をして歌うのですが、それが最高に素晴らしいんです。一度聴いてもらえませんか。損はさせませんから」と熱心に売り込みました。モーグルさんは「おいおい、そんなことどうでもいいから、早く調律を済ませてくれよ。忙しいんだから」と言いますが、ローラのお父さんは簡単には引き下がりません。それでしょうがなくて渋々、「わかった、じゃあ明日、娘さんをここによこしなさい」と言ったら、娘が実際に翌日やってきて、3曲ほどそこで自作曲を歌ったのですが、それを聴いてモーグルさんはひっくり返りました。「素晴らしい。この子は女性版ボブ・ディランになれる」。彼はそう確信して、すぐさまマネージメント契約を結びました。お父さん、偉かったですね。
接下来,由菲比·斯诺演唱《Time and Love》。这首歌收录在尼罗的第三张专辑《New York Tendaberry》中。菲比也是劳拉·尼罗的狂热乐迷。

劳拉·尼罗出生于纽约的布朗克斯,父亲是意大利裔,母亲是犹太裔。这个组合很有布朗克斯的味道。她的父亲是一位爵士小号手,也在演出之余兼做钢琴调律师。有一天,他受邀去调琴,碰巧去的是一位颇有名气的音乐经纪人阿蒂·莫格尔的办公室。父亲热情地推荐道:“其实,我有个十八岁的女儿,会作曲,也会唱歌,而且出色极了。您能不能听她唱一次?绝不会让您失望的。”莫格尔先生说:“喂喂,这种事先放一边,快把琴调好吧,我忙着呢。”可是劳拉的父亲没那么容易退缩。对方实在没办法,只好勉勉强强地说:“好吧,那你明天让女儿到这里来。”结果第二天,女儿真的来了,当场唱了三首左右自己写的歌,听得莫格尔先生大为震惊。“太棒了,这孩子能成为女版鲍勃·迪伦。”他对此深信不疑,立刻与她签下了经纪合约。她的父亲真了不起啊。

Gonna Take A Miracle

— Laura Nyro And LaBelle
Gonna Take A Miracle Columbia

ローラ・ニーロは10代の頃、黒人ソウル・ミュージックを聴きまくっていまして、ブロンクスの近所の仲間たちとドゥワップ・グループを組んで、地下鉄の駅なんかで歌っていました。地下鉄の駅は声が反響するから、ドゥワップ・グループにとっては、うってつけの練習場なんです。そしてプロの歌手になってからも、機会さえあれば古いソウル・ミュージックを歌い続けていました。彼女は自作ではない曲はほとんど歌わなかったのですが、たまに歌うとその大半はモータウンかアトランティックのオールディーズ・ソングでした。そういう曲ばかり集めた『Gonna Take A Miracle』というアルバムも制作しています。ちなみに彼女が出したシングル盤で唯一ヒットチャート入りしたのは、キャロル・キングの名曲「Up On The Roof」のカバーでした。

そんなオールディーズの中から、「ジミー・マック」を聴いてください。1967年にモータウン・レコードのマーサ&ザ・ヴァンデラスがヒットさせた曲です。ローラはこのアップテンポのソウル・ポップ・ソングを、とても愉しそうに快調に歌い上げます。これは彼女のつくった歌じゃないけど、やはり男の子の名前が絡んでいますね。

LP『Gonna Take A Miracle』に収められた1曲です。なんか彼女自身がつくった曲みたいに聴こえますね。
劳拉·尼罗十几岁的时候,听了大量的黑人灵魂乐。她和布朗克斯附近的伙伴们组成了一个 doo-wop(嘟·瓦)合唱小组,在地铁站之类的地方唱歌。地铁站里人声会产生回响,对 doo-wop 合唱小组来说,是再合适不过的练习场所。成为职业歌手后,她也一直抓住各种机会演唱老灵魂乐。她几乎不唱自己作品以外的歌曲,偶尔唱一回,也大多是摩城或大西洋唱片公司旗下的老歌。她还制作过一张名为《Gonna Take A Miracle》的专辑,专门收录这类歌曲。顺便一提,她发行的单曲唱片中,唯一进入热门歌曲排行榜的,是她翻唱的卡罗尔·金名曲《Up On The Roof》。

在这些老歌当中,接下来请听《Jimmy Mack》。这是摩城唱片公司旗下的玛莎与范德拉斯合唱团在 1967 年唱红的歌曲。劳拉唱起这首节奏轻快的灵魂流行歌曲,显得格外愉快,唱得酣畅淋漓。虽然这首歌不是她写的,却也同样与一个男孩子的名字有关呢。

这首歌收录在密纹唱片《Gonna Take A Miracle》中。听起来,总觉得就像是她自己写的歌一样。

time and love - the music of laura nyro

— Suzanne Vega
time and love - the music of laura nyro Astor Place

ローラ・ニーロはデビューした頃から、女性に人気のある歌手でした。とりわけ若い女性、女子大生に熱烈なファンが多かったんです。若い女性が感情移入しやすい音楽だったし、彼女のまとっていた「都会の妖精」風の独特の雰囲気も、その強烈な個性や自立心も、彼女たちの憧れの対象になったんでしょうね。ちょうどフェミニズムやウーマンリブの運動が台頭してきた時代でした。あと、ゲイの男性ファンもたくさんいたみたいです。どうしてかはわかりませんが。

歌手のスザンヌ・ヴェガはローラ・ニーロについてこのように語っています。

「彼女は私たちの生きている世界についての曲を書いた。でもそれを情熱を込めて生き生きとしたものに変えたので、何でもないありきたりの事物がーー空模様とか川とか街路や子どもたち、そんなものがーースピリチュアルなエネルギーを得て眩しく輝くことになった。当時の私たちは冴えないそのへんのガキだったんだけど、でも彼女の歌が私たちをビューティフルな存在に成り変わらせてくれた」

ニーロさんはそのように女性には人気があったけど、実生活ではあまり男性運に恵まれなかったみたいです。見栄えの良い男にとことん夢中になって、やがてうまくいかなくなってこじれる……というパターンが多かったみたいですね。それなりに多くの男性と付き合って、一度は結婚もしたんだけど、どのロマンスも長くは続かなかった。1980年代に入ってからはフェミニズムに傾倒し、ヴィーガンになり、動物愛護にのめり込み、インド哲学に傾倒し、シングルマザーになり、ついにはレズビアン、あるいはバイであることを半ば公にして、女性画家と行動を共にするようになります。こちらのほうはうまくいって、亡くなるまで彼女とは親密な関係が続いたみたいです。よかったですね。

そのようにライフスタイルが変化して行くにつれて、彼女の作る音楽もやはり変化を遂げていきます。彼女はこう語っています。

「若い頃、私の書く曲は誰かが私のハートを引き裂くか、あるいは私が誰かのハートを引き裂くという内容のものだった。大抵のソングライターはそういう曲を書くわよね。まるでそれが唯一のハートの使い途(みち)であるかのように。でも私はやがて違う目でものを見るようになった。愛も変化したし、それにつれて音楽も変化した」

スザンヌ・ヴェガが歌います。「Buy And Sell」。ローラのデビュー・アルバムに入っていた曲です。「Buy And Sell」という名前のストリートの歌です。そこではいろんなものが売り買いされます。コカインやらビール、愛やら、夢やら。
劳拉·尼罗从出道起,就是一位很受女性欢迎的歌手。尤其在年轻女性、女大学生中,有许多狂热的乐迷。她的音乐容易让年轻女性产生共鸣,而她身上那种仿佛“都市精灵”的独特气质,以及鲜明的个性和独立精神,想必也成了她们向往的对象。那正是女性主义和妇女解放运动开始兴起的时代。此外,她似乎也有不少男同性恋乐迷,至于为什么,我也不清楚。

歌手苏珊娜·薇加这样谈到劳拉·尼罗:

“她写我们生活的这个世界,但她把热情倾注其中,让一切变得鲜活。于是,那些平凡无奇的事物——天气、河流、街道和孩子们,这些东西——都获得了精神的能量,绽放出耀眼的光芒。那时,我们不过是一群随处可见、毫不起眼的毛孩子,但她的歌却让我们成了美好的存在。”

尼罗虽然如此受女性欢迎,但在现实生活中,她与男性的恋爱似乎并不怎么顺利。她常常会彻底迷上一个外表出众的男人,后来关系渐渐不顺,最终闹得纠缠不清……似乎大多是这样的模式。她交往过不少男性,也结过一次婚,但每段恋情都没能长久。进入二十世纪八十年代后,她开始倾心于女性主义,成为纯素食者,热衷于动物保护,醉心于印度哲学,并成为一位单亲母亲。最后,她半公开地表明自己是女同性恋,或者说是双性恋者,开始与一位女画家相伴。这段关系倒是很顺利,似乎直到她去世,两人都保持着亲密的关系。真是太好了。

随着生活方式这样不断变化,她创作的音乐也发生了变化。她曾这样说道:

“年轻的时候,我写的歌,不是有人伤透了我的心,就是我伤透了别人的心。大多数词曲作者都会写这样的歌吧,仿佛这就是一颗心唯一的用处。但后来,我开始换一种眼光看待事物。爱发生了变化,音乐也随之改变。”

请听苏珊娜·薇加演唱的《Buy And Sell》。这首歌收录在劳拉的首张专辑里,唱的是一条名叫“Buy And Sell”的街道。在那里,各种东西都可以买卖:可卡因、啤酒、爱,还有梦想。

Stoned Soul Picnic

— Roy Ayers
Stoned Soul Picnic Atlantic

今日のクロージング音楽はジャズ・ヴァイブラフォン奏者、ロイ・エアーズのグループが演奏する「ストーンド・ソウル・ピクニック」です。

ローラ・ニーロの音楽特集、いかがでしたか? 少しなりとも気に入っていただけたとしたら、ローラ・ニーロ・ファンの僕としてはとても嬉しいです。今となっては、なかなか耳にする機会のない種類の音楽みたいですからね。でもローラ・ニーロの残した曲自体はあまり聴かれなくなったかもしれないけど、彼女の影響を受けたミュージシャンは数多くいて、彼女の自由な精神は、そのDNAは、今でも音楽の世界に脈々と生き続けています。たとえばノラ・ジョーンズなんかも、「現代のローラ・ニーロ」と言えるかもしれませんよね。芸術というのは本来そういう具合に、風のように目に見えず受け継がれていくものなのかもしれません。
今天的结束音乐,是爵士颤音琴演奏家罗伊·艾尔斯的乐队演奏的《Stoned Soul Picnic》。

今晚的劳拉·尼罗音乐专题,大家觉得怎么样?如果你们能有哪怕一点点喜欢,作为劳拉·尼罗乐迷的我,也会感到非常高兴。毕竟,这似乎是如今已经很少有机会听到的一类音乐了。不过,尽管劳拉·尼罗留下的歌曲本身也许已不再常被人聆听,受她影响的音乐人却有很多。她自由的精神,她的 DNA,至今仍在音乐世界里绵延不绝。比如诺拉·琼斯,也许就可以称得上是“当代的劳拉·尼罗”吧。艺术原本也许就是这样,如风一般,看不见,却被一代代传承下去。